映像部 佐藤寛子さん
佳ちゃんの部屋へようこそ。今回は映像部の佐藤さんです!全国大会にまで上り詰めた部活のことや、高校卒業後のこと、進路で迷ったというちょっと意外な職業についてなどお話しいただきました!

名前:佐藤寛子
出身地:広島
誕生日:9月生まれ
―部活はやってた?
高校生の頃に演劇をやっていました。強豪校で上下関係が厳しくて、他校から軍隊と呼ばれていました。本当にすごかったです。どんどん部員が辞めていって一握りしか残らなくて。ただ残った人たちは結束していました。全国大会まで進んで、国立劇場の檜舞台を踏みました。
―東京にはいつ来たの?
高校を出てから美術短大に行ったんですけど中退しまして。そこからオーストラリアに留学して、戻ってきて専門学校に行ったんです。それからグラフィックデザイン会社に就職しました。でもやりたいこととか業務の内容が合わなくて、東京に出たのが24歳の頃でした。
―短大を中退してオーストラリアに行った理由は?
このまま学んでいても何にもなれないんじゃないかと思ったんです。私がやりたいことはデザインだったので、このまま座学やデッサンを学んでいても遠回りをしているんじゃないかと感じて。だったら海外のグラフィック学校に行く方が早いなと思って親に謝って中退しました。それで1年位働いてお金を貯めて手続きして、まず語学学校に入りました。毎日英語漬けで、ネイティブの友達としか遊ばないという生活でかなり自分を追い込んでいて。それなのに卒業する時、校長先生から「英語力は伸びたけど、もうちょっと勉強しないと次の学校ではついていけないよ」と言われ、そこで初めて挫折感を味わったんです。心が折れてしまって、貯めてたお金も底をつき、日本に帰りたいという思いが出てきて帰国しました。
―それで帰ってきてデザインの勉強をしたんだ。
そうです。グラフィックデザイン学科に入って勉強しました。

―学生の頃って、デザインとアートを混同しがちだったりしない?
おっしゃる通りです。私の場合どっちを取るかという選択をするときに、究極の二択がグラフィックデザイナーか彫師かだったんですよ。元々デッサンが得意だったり、空想上のものを描くことが好きだったので、彫師もありなんじゃないかと思って。高校卒業の時に親に相談したら、やめなさいって(笑)自由に生きろと言ってくれる親がダメだというなら、それはダメなんだと思って彫師になるのはやめました。
―それからなんで映像をやろうと思ったの?
止まっているものを動かしたくなったんです。静止画が美しいと思ったのでグラフィックをやり始めたんですけど、次にやりたいこととしたら動かすことかなと思って映像に行きました。あとは紙の時代が終わると思ったので。
―いとしゅんと藤原とゲームやってるんだって?
FPSゲームで『オーバーウォッチ2』というのをやっています。チーム戦なんですけど、これが会社と一緒なんですよ。タンクが社長だとしたら押し上げていく係が営業、それをバックで支えるのがクリエイティブみたいな感じです!勉強になりますよ!
―これからやってみたいことは?
将来、出来ればゲームを作ってみたいです。今は色んなジャンルのものが出ているし、ストーリーも凄く作り込まれていて、ただの娯楽だけじゃなく、色々な可能性があると思っています。

自分のやりたいことを明確にして、常に行動に移していく姿が素敵ですね!人生一度きり、失敗しても悔いのないように生きたいものです!